閉鎖病棟へ入院[9]…躁状態とステロイド精神病

7.閉鎖病棟へ入院

どうしてこんな事になったのか、点滴を受けながら
私はノートに書き始めました。

私は、精神的に大きな負荷があった時は
経緯や原因を思いつく限り書き出して整理することにしています。
心の中の苦しいもやもやを消すために必要な作業として
自分なりに納得のいく答えを探すのです。

安静にして十分な休養をとるための入院なのは判っていましたが
心の平安を取り戻す作業の方が大事だと。
夜になっても眠気が来ないのは、今はこのレポートを書くことの方が
心と体にとって必要だからなのだと。

課長とのことは、きっかけでした。
課長と私についての分析に始まって、会社と私、社会と私、家族と私など・・・
自分を分析していくことが、面白くなり楽しくなり止まりませんでした。
重苦しく真っ黒な塊につぶれそうだった心が
どんどんと軽くなっていきました。

睡眠時間は、連日3時間ほどでした。
このころの自分を思い出すと
日に日にハイな状態になっていった自覚があります。
そうやって『躁状態』と『不眠症』 を併発しながら
症状が重くなっていったのだと思います。

よく耳にする『躁うつ病(双極性障害)』とは違って
私は躁のみの『躁病』の症状でした。
うつのような苦しさは無く、本人は楽しいのですが
様々な問題行動がでてしまう精神疾患です。
心理的な負荷に対して、うつとは症状が真逆の出方をする
ということらしいです。

私は、若い時の精神疾患の経験で
自殺につながることが多い『うつ病』だけにはならないようにと
できるだけ楽天的に肯定的に考えるように意識していました。
だから 『躁病』だったのかも知れないと、自分では思っています。
どうやっても結局、弱いところに病気が出てしまったようですが・・・。

躁状態の症状ついて調べると
私は見事に全てが当てはまりました。
躁状態は、当初の2か月程とくに強く症状として出ていました。
以下のような状態が数点見受けられると、躁状態だそうです。

1. 爽快な気分(感情が激しいのでそうとは限らない)
2. 抑制がはずれる(多弁、多動、考えたらすぐ行動する、すぐ電話する、待つということができない、浪費する)
3. 自信過剰(恥ずかしさがなくなる、万事に楽観的になる、傍若無人になる、自己評価が高くなる)
4. 考えが次から次へと湧く、しかしまとまらない。
5. 疲れを感じない(わずかの睡眠で、四六時中動きまわっても疲れない)(本当は体は疲れきっている)
6. 怒りっぽくなる(とくに身近な人に、対しいつになく反抗する)
7. 注意散漫(一つのことに集中できない、次々と注意が移ってゆく)
8. 睡眠時間の減少(3時間前後で平気でいる)


幻聴は、難聴での入院5日目から現れていました。
耳を澄ますとバイオリンや民族音楽・ベルやラジオの音などが
しばらく聞こえ続けるのです。
念のため看護師さんにも確認して「聞こえない」と言われました。

担当医師にも、何度か幻聴のことは話しました。
私は「心療内科」や「精神科」への紹介を期待していましたが
そうなりませんでした。
幻聴程度のことは、医師や看護師からすると日常的な患者の症状で
特別な配慮は必要ないということなのだろうと考えました。

毎日受けていた点滴のステロイド剤には、いろいろな副作用があります。
そのひとつ『ステロイド精神病』の症状がそのまま当てはまります。

『不安・不眠から始まって、うつ状態や躁状態が現れてきます。
 症状が進むと妄想や錯乱を生じます。
 突然泣き出したり、叫びだすなど情緒不安定になったりします』

『うつ状態よりも躁状態(多幸感)の方が出やすく
 多弁になったり、話しに脈絡が無くなる…など
 異常が出現し高揚した気分を追って、幻聴や被害妄想が出やすくなります』


そして、退院した日の深夜に
つまり・・・『発狂』 したのです。

入院中から躁状態・幻聴が続き、その夜に幻覚妄想体験を伴った錯乱。
その後は長く躁状態が続きました。

『自分は特別な体験をして
 世界が変わる予兆である子供を産んだ・・・』
私は「自分の妄想だ」と言いながらも、妄想だけではないと信じていました。

そうだったら、いいのに。
そうだったら素敵で嬉しいのにと、私は楽しくて楽しくて
妄想を信じることに何の問題もないと思っていました。

私は特別な体験したのだ。
そして、妄想の子供を産んだ。 

・・・子供の名前は『祈り』。