閉鎖病棟へ入院【11】天啓と錯乱

7.閉鎖病棟へ入院

『世界は 完璧で美しい』

それは、一瞬で私の心の中に降りてきた
『天啓』のようなものでした。

私は、世界をそのように思ったことは一度もありませんでした。
私は天を見上げ、体を両手で抱きしめてうずくまりました。

・・・あぁ、そうなんだ。
私の生きた全ては、今私がここにこうしているために必要だった。
全て、すべて・・・。
あの苦しみも、あの悲しみも、喜びも、すべて。
そして、私にかかわる全てが必要なことだったのだと感じました。


いつの間にか、私は大声で泣き始めていました。

・・・嬉しかったのです。
何もかも必要だったと自分を肯定できることが、これ以上のない幸せで。


全てのことに感謝しました。
もしも神様がいるのなら
これこそが神への感謝なのだろうと思いながら泣きました。

生きてきた中で経験したこと考えたことの全てが繋がって、今の私がある。
私の延長上にも様々な事象があって、世界と私は繋がっている。

今、世界はただそこにあるという圧倒的な肯定感に私は包まれていました。
私は、この世界の一部であって、肯定されるものなのだと感じられる。
嬉しい嬉しい・・・良かったんだ・・・何もかもと。

ただ、自分を全て肯定することの延長上には
自分を取り巻く世界を肯定するという意味でもあります。
今この世界を肯定することは
それに繋がる過去のすべてをも必要だったことになると思いました。


・・・消えない悲しみもあります。
関さんは死んでしまった。
私の大事な友達・・・関さんは、もう死んでしまった。
それも必要なことだったというの?

私は関さんのことを想って泣きました。
私の事を「花に例えたらヒマワリだよ」と笑ってくれた関さん。
自宅で私の年賀状を見て「赤ちゃんパコに似て可愛いね」と言ってくれて
その翌日に病状が急変して彼女は亡くなりました。

40過ぎてやっと結婚し子供ができた私を
最後に見届けてくれたと思うのは、私の勝手な慰めだけれど。

かつて夕暮れの教室で二人で話をしました。
関さん:「私は 30才を超えて生きるつもりない。美しくないから」
私:「ふ~ん、そうなんだ。
私の30才は、子供3人いておばさんしてるか
精神科に長期入院してるかどっちかかな」

・・・悲しい、悲しい。関さんにもう一度会いたい。
彼女の笑い声を聞きたい。

何もかも必要だった・・・
私と私に繋がる全てが必要だったと?


世界は残酷で苦しみに満ちている。

それも肯定しなければならない?


・・・私は知っている。

幸せな笑顔にあふれた家族の結婚式が
爆弾で一瞬で破壊された絶望を・・・。

いくつもの希望に満ちた妻子との生活を
残酷な手段で奪われた憎しみを・・・。

いつも喜びの中にあった大切な孫の手が
波に飲まれて消えていったあの悲しみを・・・。

大きな絶望と憎しみと悲しみが
私の中で自分のもののように荒れ狂って
私はうずくまったまま全身で、大声で泣き叫び続けました。


この叫び声が、この圧倒的な悲しみを少しでも消してくれないかと。
この叫び声が、大きく世界に響き渡って天まで届けばいいのにと。

「あぁーっ!う、うっ、うっ。ああああーっ!
 ひどいっ!うっうっ。どうしてっ!
 あっ、ああああああーっ!

 ああああああーっ!


数時間は叫び続けていたようです。
途中、夫が声をかけてくれたのに気が付いたのですが
幾つもの悲しみの波に体をさらわれていて立ち上がれず
自分をコントロール出来ずに泣き叫び続けました。

少し落ち着いてから、夫にいろいろな話を長々としたけれど
記憶が曖昧で何を話したかよく覚えていません。

関さんの話だとか、世界がこんなにも病んでいるとか
それぞれの人に役目があるとか
そんなことだったように思うのですが・・・。