閉鎖病棟へ入院【16】精神科の入院

7.閉鎖病棟へ入院

入院する道中でも、私はまた例によって
「あっ、そうか」「あっ、わかった」を繰り返していました。

待合室で母と雑談しました。
「この間の精神科の病院でシシコちゃんがね
 パコさんは笑ったり泣いたりしてたのに
『 ママはおなかが痛いんじゃない?
 シシコと一緒にお風呂に入ったら治るんじゃない?』

 って言ってたのよ。優しいね。でもなんでお風呂なんだろね」

「わかった!それって、水中出産のことじゃん!
 きっとシシコには分ったんじゃないの?
 私が何か生むって。そうゆうことじゃん」
と私は言いました。

・・・母は困った顔をしながら「そうなのかねぇ」と言いました。


病院での診察中、自分でこれまでの経緯を話しているうちに
また泣き出してしまいました。
上司は、いろいろと私の事を気遣ってくれていたし
期待もしてくれていたと思うけれど
上司の気持ちに自分は答えられなかったと…。

入院は、自分で納得していました。
確かに私はおかしくなっていたし
ここ2日程の記憶があいまいで断片的。
けれどもう、今はおかしくはなっていないし落ち着いている。
すぐに退院できると思っていました。


病室のある急性期治療病棟(入院が3ヵ月以内程度の患者用)
閉鎖病棟でした
エレベーターを出るとガラス戸とガラス壁が二重に設置されていて
常に施錠されていました。
入浴・面会も病棟内で、売店への買い物の時だけ
一日一回定時にスタッフが付き添って出られます。

持ち物の制限もあります。
スマホや電子機器は禁止で、連絡は病棟内に一つある公衆電話だけでした。
自傷行為を防ぐため突起物なども制限されます。窓も少ししか開けられません。
私は夜寝ずにノートに色々書いていたので、当初はペンとノートも禁止になりました。

この病棟の患者は老若男女30名ほどいて、私はほとんどの人に積極的に声掛けしたので
気軽に話せる人がたくさん出来ました。
いつもホール(食事やイベントをするスペース)
みんなと楽しく話したりトランプなどのゲームしたりして過ごしていました。

病気や病院・公的支援の情報交換も、よくある話題でした。
何回も再入院を繰り返している人も多くて、共通の患者友達(入院中のみ)がいるのは
『精神科病棟あるある』らしいです。

多少おかしな言動や迷惑な行動をする人がいましたが
余程でない限り気にしないし
忙しいスタッフの代わりにずっと話を聞いてあげる患者の人もいました。
中学生の男の子が一人いて、その親世代の患者たちが彼に声掛けして
一緒にゲームしたり、勉強をみてあげたりしていました。
体調が悪くてホールに出てこない時もそれぞれあって
その時はそっとしておきます。

10月末、中でも顔の広かった営業マンの男性が中心になって
年が明けたら集まって『新年会』をしようということになりました。
みんな仲良くて、2か月後にはほとんどの人が退院しているはずだからです。
お互い携帯番号を交換して、お店も決まって十数人が集まることになりました。

この病棟で入院している人は、老若男女みんな穏やかで優しい人でした。
そして、みんな年齢のわりに幼さと純真さを持っている印象がありました。
誰も、他の人を批判したり攻撃したりしません。
攻撃するのは自分に対してです。
一番仲良くなったメグちゃんの両腕は、入れ墨とたくさんの自傷行為の傷がありました。

私の神様の話も、娘の「いのり」の話も、仲間たちは受け入れてくれました。
メグちゃんは、私に「いのりちゃん 誕生おめでとう」とカードを
プレゼントしてくれました。とても嬉しかったです。

夫や母は見舞いの時に、私の神様の話を強く否定せずに聞いてはくれていましたが
いつも難しい顔・悲しい顔をして
最後に「自分はそういうの信じられない」と言って帰っていきました。


私は退院したら、私の体験と娘の「いのり」の事を
ネットに書いこうと考えていました。
私は、それが世間に広く認知される未来をイメージしてワクワクしながら
入院中の出来事や出会った人の話を毎日ノートに綴って過ごしていました。

けれど、特に仲の良かった人達が次々と退院していく中
私は退院のめどすらなく、入院から1ヶ月以上が過ぎました。

「私はもう正常で退院できる」と言って、セカンドオピニオンを受けました。
そこの先生は、私の話を10分ほど聞いただけで
「担当の先生は正しいです。あなたはまだ異常なので入院していて下さい」
と言って診察が終わりました。

私はがっかりして気力がなくなり
それ以降はほとんどの時間を病室で一人で過ごすようになりました。
長く続いた『躁状態』が終わり、反動が出ていたのかも知れません。


当初の入院予定期間は3ヶ月でしたが
子供が小さく心配だった私の希望もあって
2ヶ月で退院となりました。

そして年が明けましたが、『新年会』の連絡は・・・
誰からもありませんでした。

病棟の中は、まるで薄もやに覆われた繭の中のようで
優しい人だけが暮らすおとぎ話の世界のようで・・・

体調が悪くなければ、心穏やかに過ごせる場所でした。

ですが退院すれば
心の脆弱な人間にとって優しくない現実が待っています。
お金のこと・仕事のこと・家族のこと・・・を、否応なく考えなければいけません。
だから、みんな退院すると体調を崩すのです。

私も例外ではありませんでした。


本来、入院患者同士の連絡先交換はしないように言われています。
なぜなら退院後に、自分と違って元気に社会適応している仲間の話を聞いた場合
大きな不調の原因になるからです。