閉鎖病棟へ入院[7]…最初の入院 1日目

7.閉鎖病棟へ入院

「今日はママ病院行くからね。パパはお仕事。シシコは保育園でしょ」
「保育園行かない」
「どーして?」
「だって怖い先生いるもん」
「やさしい先生もいるでしょ。大丈夫だよ。
怖い先生は、今日お休みかも知れないじゃん」

登園拒否をする息子をなだめすかして連れて行くのは、数ヶ月前から度々ありました。
「他の保育園に行きたい」と言われて、本気でびっくりしたことも。

その日はいつになく頑丈で
最後まで行くのが嫌だと言って聞きませんでした。
それで仕方なく両手で子供の体を抱えて
無理やり教室まで連れて行って、先生に引き渡しました。


その後、そのまま近くの耳鼻科の病院へ行きました。
ネットで調べた個人病院で、先生は大学の助教授もしていて
40代の働き盛りといった印象。
病状としては、右耳がほとんど聞こえず耳鳴りが続いていました。
疲れると目まいも。

実は8年前にも
やはり右耳の聴力が落ちて耳鳴りが続いたことがありました。
当時は、病院を転々としたけれど治りませんでした。
それから6ヶ月後、聴力の弱さは残ったものの、耳鳴りは治まった
ということがあったのです。
今回の症状は重いけれど、前回は病院に行って治らなかったので
すぐ医者にかかろうという気持ちになれませんでした。

聴力検査を受けて、先生の問診。
「キレイですね。異常はありません」
私は心の中で思いました。
『あぁ、またか。前回と同じで、これといった治療法が無いパターンか』
しかし、先生の次の言葉で、頭が大混乱におちいりました。

「できれば、すぐ入院して治療することをおすすめします。
 今ならまだ今日からの入院手続きが間に合いますので
どこの病院にするか決めて下さい。」
「えっ・・・と、あの、すぐに入院ですか?」
「仕事や家のこともあると思いますが、この治療はスピード勝負です。
 もし僕が同じ症状だったら、即刻入院します」

「・・・あの、病院を選ぶのは、どこかおすすめとかありますか?」
「手術ではありませんし治療方法は確立しているので、どこの病院でも同じです。
 およそ2週間の点滴治療です」
「・・・はぁ」
「とりあえず、今日はすぐに入院できる病院へ行って
 そこの先生の意見も聞いて決めたらどうですか?」
「はい。そうします」

そして、大きな病院で説明を受けました。
「入院をすすめるけれど、投薬による通院治療もあって、どちらを希望しますか?」
迷ったけれど、私は前の先生の「僕なら即入院する」という言葉が頭を離れず
夫とも相談して即日入院を決めました。
入院準備のために、一旦家に戻って、会社を早退してくれた夫とも合流。

会社へ電話して、今から入院することになったと伝えた私に対して
課長の返答はかなり厳しい口調でした。
「休むなんて話は聞いてませんよ!

 仕事の段取りは、休んでもよいように万全になってますよね?
 問題はないでしょうね?
 とにかく入院前に、今すぐ会社へ出てきて下さい 」
もう夕刻で今日の点滴を開始するにはギリギリで、会社へは行く時間が無いこと
医師に言われた内容も説明しました。

「点滴をしているだけなので、仕事のことはいつでも電話で説明できます。
 明日の朝、電話で具体的な説明をさせていただきます」と私。
「今すぐ、CさんとEさんに電話をかわるので説明してください」と課長。

今から会社へ行く行かないで、ひともめし
さらに今でなくてもよい仕事の説明までする
ことになりました。

その日はすでに、入院前の検査をいくつもして疲れており
難聴からくる目まいの症状も出ていました。
この電話で、私は立っていられない程に
体力を消耗してしまいました。

隣で話を聞いていた夫のモナカさんが
ずっとイライラとしてこちらを睨んでいたようだけど
電話中の私は全く気づきませんでした。
「いつまでそんな電話してるんだ!
仕事より体の方が大事に決まっているだろ!
携帯を取り上げて、真っ二つにしてやろうかと思った。
仕事のせいで病気になったんだぞ!
もう会社に電話するな!会社からの電話にも出るな!」

病院へ行く車中、モナカさんはずっと怒りっ放しでした。
私は「まぁ、難聴で即日入院って、私も何で必要なのかよくわからないし・・・。
課長の立場が大変なのも、みんなに迷惑かけるのも事実だから、しょーがないよ」
となだめて安全運転をお願いしました。

子供は、義理の父母に預かってもらう事に。
いつも保育園にお迎えに来てもらっていて、週末にはお泊りも。
何でも言う事を聞いてくれるジィジとバァバの事が大好きで
毎日お泊りしたいと言う位なので、たぶん大丈夫。

病院に着くと、すぐにその日の分の点滴を受けはじめました。
モナカさんは家に戻り、一人で病室にいた午後8時ごろ
私の携帯が鳴った。
・・・課長からの電話だった。