スピリチュアルで言われる
『自分の人生は自分で決めて生まれてきた』という考えは
「客観的にも凄く苦しみの中にいる人や自殺する人も多いのに
そんな人生を『自分で選ぶ』なんてありえない。
人の持つ苦しみを軽く見ている!」
いとう意見によって否定さるかと思います。
反論としては、「自分で選んだ事実を忘れている」前提での仮説なので
ありえなくはない話かと思っています。
また、「死後には…人生を大きな時空世界から見ることが出来るようになり
大きかったはずの苦しみも小さなもののように感じ始めて
その苦しみから解放される。
どんな人生であっても尊いもので肯定できるようになる」
つまり、『どんな人であっても、全ての人は救済される』
と信じたいと私は思っていて
決して『苦しみを軽く見ている』わけでは無いつもりです。
人の苦しみは人それぞれのものであって、それが軽いとか重いとか一様に言えません。
同じ状況でも人によって受け止め方が変わるので、計ることはできません。
結局、スピリチュアル的な考えは
「正しい・間違っている」という話では無くて
「どう考えるか・何を信じるか」
という話なのだと思います。
「苦しみとは何か?」と考えてみます。
大きな「苦しみ・憎しみ」を作っているのは
「他の人と比較して、自分はもっと尊重されるべき」
(例えば、「私の家族がこんな死に方をする理由が無い」なども…)
という考えがあると思います。
客観的に過酷な中にある人が「自分を人と比較せずに」いれば
「悲しみ・苦痛」はあっても「苦しみ・憎しみ」は少ない と思います。
「悲しみ・苦痛」も苦しみの一つですが
「悲しみ・苦痛」は、その時だけの比較的一過性のものだと思います。
「人と比べて自分は不当に苦しめられた」という気持ちが強いと
そこからくる「苦しみ・憎しみ」からいつまでも逃れられません。
「人との比較」は、差別・蔑み・妬み・恨み という苦しみも生みます。
それらの 苦しみから解放されるには、人と比較せずに
視点や考え方を変えるか 忘れること… しかないです。
苦しみの種類によっては、とても難しいことですが・・・。
「自分で人生を選んで生まれてきた」
と考える意味とは何か?
自分で選んだのだからと、人の苦しみを切り捨てて良いのか?
「全て自分で選んだのだ。自分の責任だ」とは言いません。
人の苦しみが少なくなる社会を目指すことは、大切なことです。
この話は、スピリチュアル界的な視点で
『自分で苦しみを減らす考え方』をご案内しているのです。
たぶん「自分で選んだ」という考え方の根底にあるのは
自分の人生の在り様について
『他人のせいにしない』『他者を憎まない』
ことが大事… ということだと思います。
人生の岐路で、私たちはいくつもの選択をしてきた結果として今があります。
「自分で選んだ」という考え方は
「自分の人生は自分のもの」という” プライド ” であり
「自分の未来も自分のもの」という” 意志” です。
そして、大きな決断をする時に必要なのは、「勇気」と「覚悟」です。
「未来を過剰に心配しない 勇気 」と、「過去を後悔しない 覚悟 」を持って
ただ「今をシンプルに楽しんで生きる」ことが大事
…なのだと思います。
スピリチュアル的に「苦しみ」とは?
本来、私たちの魂は全体として一つであるのに
個人として分離しているという思い込みが
苦しみの原因 …だそうです。※
分離していると思っているので、他者と比べて苦しむ
全体として一つなのだと感じ、他者と比べる必要が無ければ
苦しみの多くは無くなります。
世界が一枚の美しい絵だとすると
その絵を構成するジグソーパズルの一片 (ワンピース ONE PIECE)が
私たち1人ひとりです。
全体として一つの美しい絵であり、全てのピースが必要で
色と形は人それぞれ違っていても
全てがそのままで完璧なのです。
他のピースと比較する必要は無く、どのピースが偉いとかも無いのです。
※この考え方は、「あなたが知らないあなたの話」著:阿部敏郎 雲黒斎
という本でわかりやすく書かれています。
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