輪廻とカルマと人生ゲーム

4.スピ世界のご案内

インドのカースト最下層のとても苦しい生活をしている人に
「カーストは差別だから撤廃を!」と言っても
「自分には必要ない。これは自分が背負っているカルマ(前世の業)だから
来世のために必要な苦しみなのだ」
と返されることもあるそうです。

それって『支配層に都合の良い洗脳では?』という見方の一方で
『前世の行いによって選択されたカルマはあるのではないか』と私は思っています。

前世で自殺したなら、次に転生してもう一度同じ苦しみを味わうことになる。
その苦しみを乗り越えるまで、何度でも・・・
という話。

前世で人を殺したら、罪を犯したのなら、次に転生するときは被害者の立場となり
その罪の重さを苦しみを味わうことになる・・・
という話。

スピリチュアル界の中でもいろいろな話があるのですが、それぞれの違う部分は
見る角度・見方が違うのであって、本質的には同じもの だと思っています。

そして私が一番そうだと良いと思った考え方は
『 カルマは罪を償うための罰ではなく
 
転生の前に自分で選んだ生き方だ 』というものです。

人は、死んで元の魂となって大きな時空世界を知り
長く感じた人生も一瞬のことだったかのように感じ始めるそうです。
そうして、今世の苦しみから解放されて・・・
次の転生のルート(生き方・経験)をどうしたいと考えるでしようか?

自殺のリセットをしてしまったら
そのルートをもう一度挑戦したいと考えます。

もちろん違うルートを選ぶことも出来るのですが、挑戦するルートの方が
獲得するポイントが高いし、知らない他ルートよりも再チャレンジの方が成功率が高いし
なにより失敗したままは悔しい。

人を殺したら
次は殺される側の経験をするルートが目の前に現れます。

そのルートが、経験値を上げてこれから高ポイントを獲得していくには
最も良いルートだからやはり自然と選ぶことに。

今世の運命(経験ルート)は
過去世の経験を踏まえて選択されたものなので
『カルマ(前世の業)』の結果そのものと言えます。

何度も同じ苦しみを経験したり、人に与えた苦しみを次は自分が経験することは
言い方を変えれば、『地獄』と呼んでも良いと思います。
閻魔大王に罰っせられているのではなく、自分で選んでチャレンジしているのだと
そう私は考えたいです。

補足すると、難しいルートを選んでいることはチャレンジであって
『前世の罪があった』とイコールでは決して無いはずです。
殺される側のルートの人が、必ずしも前世で殺す側だったわけではありません。

そうして誰もが自分でルート(運命)を選んで
ゲームの『リプレイ(転生)』ボタンを押すのです。

生きるという人生ゲームは、楽なルートを何度も繰り返す選択もできるし
その生き方が悪いことではないです。
ただ、経験値が上がらずポイントがあまり稼げないだけ。

そもそも、経験値上げてポイント貯めて何をしたいのか?

ゲームと同じで、欲しいアイテムと交換できる。
経験値が上がると、難関ルート(アップダウンの激しい人生など)を選べるようになる。
ランキング上位を目指す。
… 上位には、” キリスト ” とか ” ブッダ ” だとか名だたる神に近しい人たちがいます。
ポイント評価が最も高いことは『人に影響を与えること』だそうです。

例えば、幼くして亡くなる子供は、どの子もとても可愛くて優しい子で
まるで徳の高い大人のような子も少なくないです。
それは、苦しむ親族と向き合うという難関ルート を選べるほどに
何度も転生を繰り返していて経験値が高いから。

スピリチュアル界で
徳のポイントを稼いで転生を繰り返す目的は
『愛を知る(世界を受け入れる)』ため とか
端的には『バカを直す』ため という言い方もされています。

私は、結果的に『愛を知り』『バカが治る』のであって、目的ではないと思います。

ゲームをする目的は、ゲームが楽しいからですよね。
ポイントが付くと嬉しいからですよね。

「人生は、苦難も含めて楽しむもの、そのために生きてる」
そう思っています。

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